GODIVAとドーナツホールのコラボが話題になっていますね。
本日10時に新MVも公開されました!
「ドーナツホール」とは、2014年にリリースされたハチこと米津玄師さんのボカロオリジナル曲です。
米津さんが前身であるハチさんだったころに手掛けたドーナツホールですが、当時のMVはYouTubeで6200万回以上再生されている(2024年9月現在)人気曲となっています。
今回はドーナツホールについての考察をまとめていきたいと思います。
「ドーナツホール」の歌詞
いつからこんなに大きな 思い出せない記憶があったか
どうにも憶えてないのを ひとつ確かに憶えてるんだな
もう一回何回やったって 思い出すのはその顔だ
それでもあなたがなんだか 思い出せないままでいるんだな
環状線は地球儀を 巡り巡って朝日を追うのに
レールの要らない僕らは 望み好んで夜を追うんだな
もう一回何万回やって 思い出すのはその顔だ
瞼に乗った淡い雨 聞こえないまま死んだ暗い声
何も知らないままでいるのが
あなたを傷つけてはしないか
それでも今も眠れないのを
あなたが知れば笑うだろうか
簡単な感情ばっか数えてたら
あなたがくれた体温まで忘れてしまった
バイバイもう永遠に会えないね
何故かそんな気がするんだ そう思えてしまったんだ
上手く笑えないんだ どうしようもないまんま
ドーナツの穴みたいにさ 穴を穴だけ切り取れないように
あなたが本当にあること 決して証明できはしないんだな
もう一回何回やったって 思い出すのはその顔だ
今夜も毛布とベッドの隙間に体を挟み込んでは
死なない想いがあるとするなら
それで僕らは安心なのか
過ぎたことは望まないから
確かに埋まる形をくれよ
失った感情ばっか数えてたら
あなたがくれた声もいつか忘れてしまった
バイバイもう永遠に会えないね
何故かそんな気がするんだ そう思えてしまったんだ
涙が出るんだ どうしようもないまんま
この胸に空いた穴が今
あなたを確かめるただ一つの証明
それでも僕は虚しくて
心が千切れそうだ どうしようもないまんま
簡単な感情ばっか数えてたら
あなたがくれた体温まで忘れてしまった
バイバイもう永遠に会えないね
最後に思い出した その小さな言葉
静かに呼吸を合わせ 目を見開いた 目を見開いた 目を見開いた
あなたの名前は
考察
さらっと歌詞を読むと失恋の曲に思えますが、実際はどうなのでしょうか?
ドーナツホールの考察についてまとめていきたいと思います。
「ドーナツホール」とは?
一般的なドーナツホールの意味は、以下の2点です。
②ドーナツの真ん中に空いている空洞
米津さんの「ドーナツホール」は、単純に②のドーナツの穴のことを差していますね。
考察①人々のトラウマや虚無感を表現した曲
ドーナツホールの語り手(僕)が思い出せない「記憶」は、思い出せない、あるいは思い出したくないトラウマを差しているのではないかという意見があります。
「どうにも憶えてないのを ひとつ確かに憶えてるんだな」という矛盾した歌詞ですが、それは忘れてしまいたい、でも忘れられない、なんとなく憶えてしまっている、誰しもが抱えるトラウマです。
「確かに埋まる形をくれよ」「それでも僕は虚しくて心が千切れそうだ」という歌詞は、語り手の虚無感を表しています。
ドーナツホールとは人々がそれぞれ大切に思う人の存在を指し、その人を失ってしまったのだろうという考察です。
この曲はある特定の人の曲ではなく、社会に生きる人々のトラウマや葛藤、虚無感などの感情を表しているのかもしれませんね。
考察②父親を表した曲
ドーナツホールは、米津さんが自分の父親のことを考えながら作詞したのではという意見もあります。
過去のインタビューで、米津さんは「父親とほとんど会話したことがない」と述べていました。
もし「あなた」というのが昔の恋人だとすると、大切だったはずなのに忘れていたり記憶があいまいだったりするところが、少し不自然ですよね。
記憶がおぼろげなのは、自分が小さい頃の記憶であやふやだからかもしれません。
小さいころは大切な存在だった父親が、年齢を重ねて衝突するうちに会話がなくなり、だんだんと幼いころの記憶があいまいになっていったのです。
あいまいな記憶の中でただ憶えているのは、幼いころ自分に向けられた優しい笑顔。
「あなたがくれた体温」は、抱っこしてもらったときの温かさだと想像すると、なんだかとても切ないですね。
まとめ
今回の記事では、ハチこと米津玄師さんのボカロオリジナル曲「ドーナツホール」の考察についてまとめてみました。
聴く人によって感じ方はさまざまなので、いろんな考察があって興味深いですよね。
10年前のMVと本日公開されたMVを見比べてみるのも楽しそうです!